2019年8月24日(土)21:00頃から24時間テレビのドラマ「絆のペダル」が放送されます。
この「絆のペダル」はドラマの主演でもある宮澤崇史さんがモデルとなっている物語です。
宮澤崇史さんのお話は、2015年に「奇跡体験!アンビリーバボー」の番組でも取り上げられたりしているほど有名な親子関係とロードバイクのことが描かれています。
今回は「絆のペダル」が放送されるということで、「相関図」や「あらすじ」「モデルとなった宮澤崇史さん」について紹介していきます!
「絆のペダル」(24時間テレビドラマ)の相関図について!
https://twitter.com/kayomiffy/status/1160161530148614144?s=21
登場人物の関係についてわからないことがあったらぜひ確認してみてくださいね(^^)
宮澤崇史→相葉雅紀さん
宮澤崇史の母→薬師丸ひろ子さん
宮澤崇史の姉→酒井若菜さん
が役を務めます。
ドラマ内で宮澤崇史の姉の学生時代を演じる日比美思さんも登場されます(^^)
「絆のペダル」(24時間テレビドラマ)のあらすじ
最も過酷なスポーツとも言われる自転車競技・ロードレース。そんな世界でトッププロとして活躍した宮澤崇史(相葉雅紀)は、多くの困難を乗り越えてきた選手でもあった。
1992年、崇史(高橋恭平・なにわ男子)は、テレビでツール・ド・フランスを見て「自転車の選手になる」と宣言。崇史の母・純子(薬師丸ひろ子)は息子が『夢中になれる』何かを見つけたのではと直感し、全力で応援していこうと心に決める。
高校卒業後、崇史はプロ自転車選手の道へ進む。母と共に苦難を乗り越え、正に“自転車で日本一になる”という崇史の夢がかなうまであと一歩となったその時、純子が肝臓の病気で倒れてしまう……。
このままだと余命が1~2年であると宣告された純子を救う唯一の方法は生体肝移植だけであった。崇史は、真っ先に自分の肝臓を提供すると医師に告げる。しかし、移植手術を受けることは崇史の自転車選手としての選手生命を絶つことと同義であった……。
「絆のペダル」のモデルとなった話は?
「絆のペダル」のモデルとなった話は、自転車選手を目指そうとする息子の宮澤崇史さんと母の純子さんの物語です。
父の幸弘さんは崇史さんが6歳の時に病気で他界し、純子さんは一人で働きながら姉の妙子さんと崇史さんを育てることに。
生活するのも苦しく、崇史さんはお下がりの服をもらって着ていました。
崇史さんが自転車選手になろうと思ったきっかけは「ツール・ド・フランス」の映像を初めて見たときに、心を惹きつけられたそうです。
しかし、家の生活は苦しい上に競技用の自転車を買う余裕はありません。
そこで、母は同僚のマウンテンバイクを借りて、崇史さんをマウンテンバイク大会に参加させることにしました。
崇史さんは練習すらしたことがなく、大会なので他の選手はベテランばかり。
崇史さんに経験させてあげたい!やってあげさせたい!という思いがあったのでしょうか。
レースの結果は270人中27位という成績でした。
自転車競技の練習すらしたことがない崇史さんが上位のベテランと並んで好成績の結果に。
その後、崇史さんは自分の自転車を買ってもらい、のめり込むように練習するようになりました。
自転車競技の才能があった崇史さんはその後、歳を重ねるにつれて、成績を残していき日本一まであと一歩の所で、不幸な知らせが届きます。
お母さんが病になり、余命は1〜2年。
肝臓の移植をしなければ助からない状態に。
崇史さんはお母さんとドナーが一致いたのですが、他のドナー提供はなかなか見つからない状態でした。
崇史さんはドナーが必要だということを知ると、迷うことなく、移植を受け入れます。
自転車選手にとって、移植するということは筋肉の低下や選手生命が危うくなる危険があります。
そして移植をして、今までの結果がなかぬか得られず、努力を重ねてた結果
崇史さんの夢である日本選手権でトップを取ることができました。
テレビで「ツール・ド・フランス」を見たことがきっかけで、自転車の選手になろうと思った宮澤さんは2014年に行われた「ツール・ド・フランス」の大会を最後に現役を引退しました。
まとめ
いかがだったでしょうか?
今回は24時間テレビドラマ「絆のペダル」の相関図やあらすじ、モデルとなった宮澤崇史さんについて紹介しました。